日産自動車は日本を代表する自動車メーカーとして知られ、1933年の創業以来、17名の社長が会社を率いてきました。
そんな大企業の社長たちの経歴が気になる人も多いのではないでしょうか。
この記事では日産の歴代社長たちの足跡を詳しく見ていきます。
第1代社長 鮎川義介(1933年-1939年)
- 誕生:1880年11月6日
- 出身地:山口県
- 学歴:東京帝国大学工科大学(現:東京大学)卒業
「日本のヘンリー・フォード」と呼ばれた鮎川義介は、自動車産業への情熱を持って日産を設立しました。
東京帝国大学在学中から事業家としての才能を発揮し、「事業は世のため人のため」という理念を掲げ続けました。
主な実績:
- 1933年:自動車製造株式会社(後の日産自動車)設立
- 1934年:横浜工場完成
- 1935年:初の量産乗用車「日産フェートン」発売
第2代社長 村上正輔(1939年-1942年)
誕生:1878年9月17日
出身地:山口県
学歴:京都帝国大学(現・京都大学)卒業
2代目を務めたのは山口出身の実業家である村上正輔。
自身で開発したオーバル歯車を自動車に応用し日本全体の自動車産業に大きく貢献しました。
主な実績:
- 1942年:日産自動車販売株式会社を合併。
第3代社長 淺原源七(1942年-1944年)
誕生:1891年9月1日
出身地:大阪府
学歴:東京帝国大学(現・東京大学)卒業
日産自動車創業時からの社員であり、トラックの生産を中心とした人物。
主な実績:
- 吉原工場完成
- 日産重工業(株)に改称
第4代社長 工藤治人(1944年-1945年)
誕生:1885年1月
出身地:鳥取県
学歴:京都帝国大学(現・京都大学)卒業
戦時中の約1年を務めた人物。
海綿鉄を製造する方法を開発した技術者でもあった人物です。
第5代社長 村山威士(1945年)
誕生:1885年11月16日
出身地:山口県
学歴:京都帝国大学(現・京都大学)卒業
5代目社長は鳥取出身の士族。
情報が少なく、在任期間も1945年6月~10月とおよそ5か月間の任期でした。
第6代社長 山本惣治(1945年-1947年)
誕生:1888年10月25日
出身地:新潟県
学歴:東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒業
山本惣治の在任期間は約1年7ヶ月と比較的短期でしたが、戦後の混乱期に日産の経営を担当しました。
また、山本は富士自動車にも在籍した経歴があり、自動車業界での経験を活かして日産の再建に尽力したと考えられます。
第7代社長 箕浦多一(1947年-1951年)
誕生:1891年7月
出身地:大分県
学歴:不明
箕浦多一は約4年の在任期間中、戦後の復興期に日産の経営を担当しました。
情報は少ないですが箕浦は戦後の混乱期から安定期への移行期に日産の舵取りを行った重要な人物と言えます。
主な実績:
- 社名を日産自動車(株)に復帰
第8代社長 淺原源七(1951年-1957年)
誕生:1891年9月1日
出身地:大阪府
学歴:東京帝国大学(現・東京大学)卒業
淺原は、第3代社長(1942年3月〜1944年9月)を務めた後、1951年10月から1957年5月まで第8代社長として再び就任しました。
約5年7ヶ月の在任期間中、戦後の日産の復興と成長に貢献。
また、自動車技術会の初代会長(1947年〜1949年)も務め、自動車業界全体の発展にも尽力しました。
主な実績:
- イギリスのオースチン社と技術提携
第9代社長 川又克二(1957年-1973年)
誕生:1905年3月1日
出身地:茨城県
学歴:東京商科大学(現・一橋大学)卒業
川又克二は、1957年5月から1973年5月まで日産自動車の第9代社長を務めました。
約16年間の長期政権で、日産を業界第2位に押し上げ、「中興の祖」と呼ばれるようになります。
プリンス自動車との合併を実現し、「セドリック」や「フェアレディ」など有名車種の命名者としても有名です。
主な実績:
- スカイライン、グロリアを持つ「プリンス自動車工業株式会社」を合併
- 東京都中央区銀座に本社事務所移転
- 「日産・フェアレディZ」発売
第10代社長 岩越忠恕(1973年-1977年)
誕生:1906年7月4日
出身地:鳥取県
学歴:東京帝国大学(現・東京大学)卒業
岩越忠恕は日産自動車で取締役、常務、専務、副社長を経て社長に就任。
在任中の1971年に藍綬褒章、1976年に勲二等旭日重光章を受章しています。
主な実績:
- スカイライン2000GT-R C110型 発売
- シルビア 発売
第11代社長 石原俊(1977年-1985年)
誕生:1912年3月3日
出身地:東京都
学歴:東北帝国大学(現・東北大学)卒業
石原俊は「打倒トヨタ」を掲げ、積極的な海外展開を推進しました。
経済同友会代表幹事も務め、財界でも影響力を持ったようです。
しかし、「グローバル10」戦略の失敗により、後年の評価は厳しいものとなっています。
主な実績:
- マーチ 発売
- 「DATSUN」ブランド廃止「NISSAN」ブランドへの統一
第12代社長 久米豊(1985年-1992年)
誕生:1921年5月20日
出身地:東京
学歴:東京帝国大学(現・東京大学)卒業
久米豊は、「901活動」を推進し、「シーマ」などのヒット車を生み出しました。
「シーマ現象」で新語・流行語大賞銅賞を受賞。
経営のグローバル化を進め、日本自動車工業会会長も務めました。
93歳で逝去し、従三位を叙されています。
主な実績:
- Y31型セドリック・グロリア 発売
- セドリックシーマ・グロリアシーマ 発売
- スカイラインGT-R 復活
第13代社長 辻義文(1992年-1996年)
誕生:1928年2月6日
出身地:香川県
学歴:東京大学工学部 卒業
辻義文は1990年代の経営危機に対応し、座間工場閉鎖や5000人規模の人員削減など大胆なリストラを実行。
生産畑出身で、公私混同を嫌う厳格な性格でした。
日本自動車工業会会長や経団連副会長も歴任し、日本の自動車産業に大きな影響を与えました。
主な実績:
- 座間工場 閉鎖
第14代社長 塙義一(1996年-2000年)
誕生:1934年3月16日
出身地:東京都
学歴:東京大学経済学部 卒業
塙義一は、1996年6月から2000年6月まで日産自動車の第14代社長を務めました。
東京大学経済学部卒業後、1957年に日産入社。
経営危機に直面した日産を立て直すため、ルノーとのアライアンスを決断。
カルロス・ゴーンを招聘し、日産の再建の礎を築きました。
主な実績:
- ルノーと資本提携
第15代社長 カルロス ゴーン(2000年-2017年)
誕生:1954年3月9日
出身地:ブラジル
学歴:パリ国立高等鉱業学校 卒業
カルロス・ゴーンは、1999年に日産の最高執行責任者(COO)として就任し、2000年6月から2017年4月まで第15代社長を務めました。
「日産リバイバル・プラン」を実行し、日産を経営危機から救い、V字回復を実現。
「コストキラー」の異名を持ち、ルノー・日産・三菱アライアンスを構築しました。
2024年現在は、金融商品取引法違反で起訴され、国外へ逃亡中。
主な実績:
- モコ 発売(スズキOEM)
- フェアレディZ 復活
- セフィーロを廃止しティアナを発売
- サニーを廃止しティーダを発売
- セドリック・グロリアを廃止しフーガを発売
- 三菱自動車工業と事業提携
- 日産GT-R 発売
- 本社を東京都中央区銀座から横浜市西区へ移動
- 量産型専用車種世界初EV リーフ 発売
- 株式会社NMKV設立
- スズキと軽商用車のOEM供給基本合意
- 三菱自動車工業を傘下に
第16代社長 西川廣人(2017年-2019年)
誕生:1953年11月14日
出身地:不明
学歴:東京大学経済学部 卒業
西川廣人は、2017年4月から2019年9月まで日産自動車の第16代社長兼CEOを務めました。
カルロス・ゴーン逮捕後の経営危機に対応し、コーポレート・ガバナンスの強化を図ります。
しかし、役員報酬の問題が発覚し、責任を取って辞任。
東京大学卒業後、日産で長年キャリアを積み、購買部門や海外事業での経験も豊富でした。
主な実績:
- Googleとパートナーシップを結ぶ
第17代社長 内田誠(2019年-)
誕生:1966年7月20日
出身地:東京都
学歴:同志社大学神学部 卒業
内田誠は、2019年12月1日から日産自動車の第17代社長兼CEOを務めています。
カルロス・ゴーン逮捕後の混乱期に就任し、「NISSAN NEXT」計画を推進。
業績回復に尽力し、3年ぶりの黒字転換を実現。
2024年に日産はホンダとの経営統合を発表。
17代の長い歴史に幕が下りました。
主な実績:
- 日産ルークス 発表
- 日産キックス 発売
- 日産アリア 発売
- 軽電気自動車 サクラ 発売
まとめ
歴代社長の学歴:
- 東京帝国大学(現・東京大学):7名
- 京都帝国大学(現・京都大学):3名
- その他有名大学:5名
17代にわたる経営者たちの多様な経歴を見てきました。
どの人も高学歴ばかりで驚かされますね。
この歴史が、日産を世界有数の自動車メーカーへと成長させたといえるでしょう。
コメント